ティファニーで朝食を

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 昨年、何かの記事でニューヨークのティファニーにレストランが開業したというニュースを読みました。

 この記事によると朝食もサービスするようですので、文字通り「ティファニーで朝食」が食べられるようになりました。

 

 昭和の時代、ニューヨークに行ったことのある人は知っていたはずですが、そうでなければティファニーという高級宝石店にはレストランがあると思い込んでいた方が多かったでしょう。

 

 私は全寮制の中学・高校で暮らしており、週末には少ない小遣いをやりくりして300円で3本の映画を観ることができた名画座に通っていたので、オードリー・ヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』を観ており、それがウィンドウを眺めながら紙コップのコーヒーとクロワッサンで取る朝食であることを知っていましたが、どうも高校生には主人公の気まぐれなホリーという女性の心情がよくできない映画でした。

 しかし、彼女が窓際でギターを弾きながら歌う「ムーンリバー」という曲は非常に印象深い曲でした。

 

 中高生の頃は英語の劣等生でしたが、そこの学生は例え劣等生でも英語だけはできるのだろうと世間から思われていた大学に入ったため、嫌でも授業やゼミで英語と付き合うことになりました。

 仕方なく英語の勉強を渋々始めざるを得ませんでした。

 といっても、映画を極力字幕を読まずに観るといったレベルの話なのですが、この頃から原書をよく読むようになりました。

 

 ある時、神田の古本屋でトールマン・カポーティの” Breakfast at Tiffny’s” を見つけて買って帰り、大学への通学片道1時間45分を使って読み始めたのですが、どうも原作と映画はかなり内容が異なっています。

 

 そもそも主人公のホリーという高級娼婦はオードリー・ヘプバーンのように可憐ではなく、もっとしたたかで、さらには「ティファニーで朝ご飯を食べられるくらいにお金持ちになっても・・・」というセリフはあっても、映画で有名になったウインドウを覗き込みながらデニッシュを食べるシーンは原作にはありません。

 

 また、映画ではいなくなった猫を見つけて雨の中でジョージ・ペパード扮する作家と二人で抱きしめるハッピーエンドのシーンで終わっていますが、原作では猫は見つからず、ホリーは南米へ行ってしまい、しばらくたって作家がある家の窓辺で寛いでいる猫を見つけて、ホリーも同じように安住の地を見つけていればいいなと思うところで終わるという終わり方になっています。

 

 原作と映画が異なることはよくあることですが、この作品の場合、原作と映画が逆だったらどちらも全く売れなかったでしょう。

 

 映画はオードリー・ヘプバーンの魅力を目いっぱい引き出していますし、原作は1960年代の新たな女性像を切なく描いています。

 

 文芸小説が映画化された場合、その原作を読んでみるというのは意外に面白いものですので、お薦めです。

 

 翻訳されていないけれどもとてもいい小説も山ほどあります。

 

 また、専門書は翻訳されていない本の方が圧倒的に多く、また、論文はほとんど翻訳されないので、どうしても原文に当たらざるを得ません。

 これらをしっかりと読めるかどうかで、専門家としても幅の広さが変わってきてしまいますので要注意です。

 

 困ったことに、私の専門の危機管理などはドイツでびっくりするような研究が進んでいるのですが、なかなかその論文には手が出せません。

 

 学生時代にもっと勉強しておけば良かった・・・と悔やんでも始まりませんが、やはり日本語を読むのとはスピードが異なり、じれったい思いをしています。

 

 「後悔先に立たず」というのは至言ではありますが、その意味が分かるようになった時には手遅れという「迷言」なので困ってしまいます。

 

 ちなみに、かつて海上自衛隊の連絡官として米国に駐在していた頃、ニューヨークのティファニーへ行ったことがあります。

 

 息子が小さかったのでお目当てはティファニーの隣の大きなおもちゃ屋さんだったのですが、前を通りかかったので覗いてみました。

 

 オードリー・ヘプバーンの大ファンである我が家の司令長官がショーウィンドウを覗き込んでいるのは見ていて可笑しかったのですが、入ったすぐにあったショーケースに500ドルもするカバのペンダントが置いてあってびっくりしたのを覚えています。